きずなの像(移転完了)除幕式が執り行われました

皆さん! 「きずなの像」をご存知でしょうか。(下段に「きずなの像建立~移転の経緯」に過去の記録から概要をまとめましたので参照ください)

2025年4月2日(水)10時より、姫路工学キャンパスの書写紀念会館前において きずなの像(移転完了)除幕式が執り行われました。朝からの雨模様で心配されましたが、1時間前には ほぼ雨も上がり関係者ご列席の中で滞りなく執行されました。

式次第に基づき、まず事務局から「きずなの像建立~移転の経緯」について説明があり、続いて第37期姫路工業俱楽部理事長の辻井浩一氏からご挨拶があり、今まで神戸市五位ノ池町に建立されておりましたが、今回書写の地に移転したことで後輩である学生たちの多くに見て頂き、学生と同窓会である姫路工業俱楽部とのきずなが一層深まることを期待したいというお話がありました。また移転工事でお世話になりましたハリマシッピングサービス㈱様に御礼を申し上げられました。

来賓代表として兵庫県立大学 副学長の畑 豊氏より祝辞があり、兵庫県立大学は昨年20周年を迎え、これから大いに発展していくには同窓会の発展が不可欠で、大学の知名度アップのため共に取り組んで参りましょうとのお話がありました。

その後、来賓紹介の後 引き続いて、畑 豊氏、藤沢 浩訓氏、辻井浩一氏、千葉貴世氏の4名による除幕が行われました。

最後に記念撮影をしてお開きとなりました。 

「きずなの像建立~移転の経緯」兵庫県立大学 工学部・姫路工業大学にとって「発祥の地」である神戸市長田区五位ノ池町に前身の兵庫県立高等工業学校が建立されたのは、昭和19年のことで翌年3月に戦災により焼失してしまいましたが、当時の先生方や学生及びOB諸氏の尽力により、学校は五位ノ池町から姫路への移転・再興となった歴史があります。

その後、昭和19年(1944年)から数えて50周年を前にして平成4年(1992年)に姫路及び神戸在住の同窓生数名により、大学発祥の地に記念碑建立の計画が持ち上がり、当時の副理事長の宇山忠男教授を実行委員長として記念碑建立実行委員会が組織されました。

平成6年(1994年)3月には、香川県在住の彫刻家 岡田憲一氏のオリジナル作品「きずな」を建立することが実行委員会で決定し、同年8月に記念碑が完成しました。

記念碑が建立されて5か月後の平成7年1月17日の阪神淡路大震災では、M7.2 震度7の激震に見舞われ、長田区周辺は大きな被害を受けましたが、幸いにも きずなの像は被害も免れ、損傷も受けませんでした。

神戸市の善意により無償で設置されてきましたが、2024年9月に神戸市の再開発計画による移転の申し入れがあり、関係者による協議の結果 姫路工学キャンパスに移転することになりました。尚、同じ場所に設置しておりました「姫路工業大学発祥の地」を表示した記念碑は、「きずなの像は姫路工学キャンパスに移転しました」という内容のプレートを付け加えて神戸市五位ノ池町内の近接地に移転しました。

きずなの像は、作者の岡田憲一氏によりますと「母親が前を大きく広げて子供を温かく見守りながら、やさしく包み込もうとする姿をイメージし、母と子の強いきずなを表現したもの」ということです。

「これより、先人の研鑽、功績のもと、つよい絆で兵庫県立大学工学部として発展し、社会に寄与することを祈念するものである」 / きずなの像 プレートより

               除幕後

               集合写真

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です