会員だより2017(カナダ・オタワ在住のESS・OB 井倉氏と52年ぶりの再会)

【2017年10月29日】 カナダ・オタワ在住のESS・OB 井倉氏と52年ぶりの再会
 平成29年10月26日(木)12:00~14:30 三宮の東天紅で、井倉道雄氏(姫路工大産業機械科S.42年卒、ESS所属、カナダのオタワ在住)に52年ぶりに会って、We are looking forward to meeting you. で始まり、 食事と会話を楽しんだ。
 今回の久しぶりの帰国の機会に、ESSのOBに会いたいという連絡が来て、今回の再会に結び付いた。これは姫路工業倶楽部報第27号の“ESSの50年会報告”に始まり、工業倶楽部事務局のお陰で連絡を取りあえるようになったことに依る。奥様のLydiaさん同席のもと、約2.5時間の長時間、英語による歓談で、昔のESSの部活を思い出した。参加者は、井倉氏とLydia夫人、石野、加藤、嶋谷、森井、長井の7名で、いつものESS・OBに呼びかけたが都合のつかないメンバーが多く、井倉夫妻以外の5名はS.36入学のESS・OBに偏ってしまった。
 まず井倉氏から工大卒業後のカナダでの活躍、カナダ政府への技術面の貢献、キリスト教の教え、聖書の内容、などの話があり、昔ESSでOscar Rinell先生によるBible Classを思い出したのは、長井だけだろうか。奥様とのなれそめの告白もあった。ほほえましい出会いがあったらしい。続いて5名が英語で自己紹介をした。Lydiaさんに分かってもらうために、大部分を英語で通した。Lydiaさんも話に入って楽しんでくれた。 時間の経つのは早く、最後に工大の学生歌“紫雲たなびく”を全員で歌い、聞いたLydiaさんの拍手をもらった。硬い握手をし、“See you again.”で別れた。楽しい再会であった。(文責:E40卒 長井吉久)
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【前列左から、森井、井倉、Lydia、長井、後列左から、加藤、嶋谷、石野】
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歓談風景(左から井倉、Lydia、長井)
【2017年10月24日】 フランス南部を家内とドライブ゛(15日間 約3,000km)
 大学4年 講座全員でポンコツ車購入。校内で練習し免許取得。それから約50年。今回2週間でフランス・スペイン国境近くをレンタカーで走破。あらかじめ日本で 移動式ナビに予定コースをインプット。車はネットで予約。
 パリ経由の南部都市トウルーズでレンタカー(日産車だった!うれしいね)を借り出発。キリスト教の異端派大虐殺の城塞遺跡訪問、フランス政府認定の100人程度の美しい村々を散策、1.7万年前原始人が書いたとされるラスコー洞窟内の壁画見物、ボルドー、カオール等有名産地のワインを堪能等々。
 しかし高速道路は少なく、大半が信号のない地道。ひたすら走り、昼過ぎにやっと目的地到着。散策後ホテルに入る超ハードスケジュール。一人運転で 72歳なる私には厳しかった。帰国後1ケ月月ほどダラダラし、疲れたハードな旅でした。  永山 彰(S43)
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【2017年10月22日】 我が心の故郷「船津町」
 50歳を目前に控え、大学・高校の同級生と集まる機会が年々増えてきました。そんな中、私には一度も同じ学校で過ごした事が無い同級生の集まりがあります。ご承知の通り、姫路は祭りの盛んな地域ですが、私の育った地域は祭りが無く、幼少時より父親の実家の祭りに毎年見物に行っていました。大学生の頃より練り子として参加していましたが、高校の同級生がいた関係で、同級生の会に入れてもらい、気が付けば20年近く経ち、今では「同窓会に出席していてもわからない」と言われるほどになりました。同級生だけでなく先輩後輩たちにも可愛がっていただき、祭り以外でも交流を続けています。同姓が多い為、下の名前で呼び合う同世代の集まり、これからも大切にしていきたいと思います。 
 尾田 正樹(C03)
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【2017年10月18日】 単身赴任の楽しみ方 
 この四年間、中国福建省福州市と福岡県での単身赴任生活が続いている。実家姫路の妻とそれぞれの生活には光熱費や食費での無駄が多いなぁと感じるが、サラリーマンの宿命には逆らえず、むしろ如何に前向きに楽しむかを発想するようにしている。
 まず今まで人生でやったことなかった自炊にチャレンジしてみた。味付けに失敗しながらレシピも増えて今や一つの趣味に発展して来たみたいで不思議だ。中でもあさりのワイン蒸しや具を添えたインスタントラーメンは感動もの。
 次にその土地の人とのコミュニケーションを深めるように心がけることも単身赴任の醍醐味。学生時代から今までラグビーに接し続けたことで福州では中国人の若者たちのチームに所属して日曜日の練習や遠征試合に参加して色々な経験ができた。福岡ではラグビースクールのコーチ活動と田んぼラグビーイベントがおもしろい。会社生活とは別次元で友だちの輪が広がることが人生のよき思い出になると信じています。
 単身赴任は辛いことや寂しさを感じることも多いけれど、それに代わる大切な時間を創り出すこともできますね。いつまで続くか分からない単身赴任ですが時間が許す限りエンジョイしたいものです。  有田 哲也(S59)
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{アサリのワイン蒸しなど自信作}    {インスタントラーメンも盛り付け次第}
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{中国福州のラガーとともに(中央の水色ジャージ)}
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{トップリーガ達と田んぼラグビー(右端)}  {筑豊ラグビースクールの子供たち}
【2017年10月17日】 うるう会 誕生の思い出
 M31は、1956年 閏年・オリンピックの年に卒業しました。卒業間近の一日、伊伝居学舎の学生クラブで4年毎には必ず会おうと約束して「うるう会」と名付けました。開催地はメンバーの近隣各地で、東は伊豆半島、西は萩地区などで、2010年には喜寿を通過、2016年の卒業60周年記念大会まで21回開催しました。     2017年からは、春の姫路城花見宴に移行して楽しみ、 続けています。  三村 利雄(M31)
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「60周年記念大会の城見台公園にて」
【2017年9月29日】 夏の思い出 教員免許更新講習
 10年に一度、教員免許を更新するために、大学に行って、講習を受け、試験に合格しなければなりません。兵教大、独協大、神戸学院大学にいきました。内容は、大学、学部によって、異なります。大学がきれい、スタッフが親切、先生の授業がわかりやすく、意気込みが感じられる大学のほうが 利用者にとってよいと思いました。講習の中心は、普通校のことでありました。しかし。引き続き、障害児教育で、努力していきたいと思います。
 さて、平成29年8月29日に、姫路市民大会(硬式テニス)があり、小学生の子どもが参加しました。東洋大姫路の中学生と対戦しました。ゲームの後半は、ラリーをする姿が、みられました。成長しています。夏季に、姫路工大の旧友と交流できて楽しかったです。日常を大切にし、目標を持って生活したいとおもいます。最後に、日野原重明さんは、言いました。「苦しさのなかに、喜びは、ある。気づき。前へ、進む。」 前田 英行(M63)
【2017年9月11日】 大学通学時の角帽
 大学で使用していた角帽を姫路工業倶楽部に寄贈しました(平成29年9月11日)。あきれるほど物持ちが良い話しではありますが、何かの拍子で母の持ち物の中に混在して保管されてまいりました。
 このような帽子の着用はカラー付きの黒の学生服とともに廃れたと思います。しかし、それがいつ頃だったかは私にも記憶がありません。 明瀬 利秋(M35)
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【2017年9月1日】 姫路工大ESS部健在に感激!
 池田陽夫氏(C33).png 姫路工大ESS部は、姫路短大ESS部と共に発展し健在であることを知り大変感激しています。
 当時を振り返ると、工学専門の学校では語学、特に会話は余り重要視されていなかったように思います。読み書きが出来れば、の要素が大きかったと思います。こうした雰囲気の中で、英会話ができることは高い望みでありました。姫路というローカルな場所では、当時としては英会話をするようなところではありませんでした。外国人もそんなに見受けることなく、姫路城見物をする外国人もいませんでした。時たま、広畑の富士製鉄(今は、新日鉄)に鉄鉱石を積んできた貨物船の船員が街を歩いているのを見るくらいでした。
 こうした雰囲気の中で、当時、医科進学コースの宮沢邦夫君と一緒にESS部を立ち上げました。当時、英語を話す外国人で姫路に居住する人は、余り見つからず、宣教師位だったと思います。市内新在家にスェーデン人のO.Rinell氏が住んでいて、我々の指導者になってくれました。昭和33年ごろの手帳が見つかり、中身を見ると、Rinell先生のご指導を頻度多く受けていました。当時の先生の講義には、Faith, Obedience, Love等がありますが、その言葉や意味合いを解説しているようで、恐らくキリスト教の見地からのものだったでしょう。 又、短期大学(女子)との交流もこの頃から始まったようです。恐らく、Rinell先生の仲介と思われます。短期大学の皆さんは、Bible Classのメンバーでした。
 長井さんにご案内しましたが、当時の私たちの活動は、暗中模索の状態で、特別、明確な活動方針は決まっていませんでした。神戸のアメリカ文化センターから、Ms. NeelやMr. Bodineらセンターの職員の方々に出張して頂き、ご協力を得て話を聴き、質疑応答の形で会を進めていたような気がします。又、近隣の中学、高校、大学のESSクラブとも接触していました。
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【Mr.Rinellとメンバー】   【Ms.Neelとメンバー】    【Mr.Bodine】
 *当時の写真:宮沢邦夫君はリンネル先生との写真で右から3人目の後列
 卒業してからは、専門商社に入り、海外の化学会社との接触や来訪者と同道の行動等してきましたが、ESSでの活動が少しは役だったかなと振り返っています。今では、English Speaking (Understanding)は、当たり前のことになりましたが、言葉は使わないとダメですね。そんな思いで、年老いた身でもEnglish Speaking (Understanding)に接するようにしています。
 尚、創設に尽力された宮沢邦夫氏は、当時、西宮市の武庫川病院へ行ったことが判りましたが、その後の動静は不明です。
 以上、改めて、姫路工大ESS部の設立について、思い出すところを記載しました。後輩、諸氏の益々のご活躍を祈念いたします。
平成29年8月30日 池田 陽夫(C33)
【2017年7月14日】 60年を経た手拭い寄贈
 昭和29年3月に卒業された告野様から、貴重な卒業記念品の銅製ベルトバックルを頂き、お礼の電話をする中で、新たに60年以上経った手拭いがあり、それも寄贈していただきましたので紹介します。
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 先日電話で話しました手拭いを送付いたします。一度も使用していませんが、60年以上経過しているので古びています。アイロンをかけて皺を伸ばしていただければ幸いです。 告野 牟(C29)
*手拭いが配られた経緯について、ご存知の方がおられましたら事務局までお知らせいただきましたら幸甚に存じます。(事務局)
【2017年2月2日】 私の100枚の絵 発行にあたって
 私の画跡の一区切りとして、100枚の絵を選んだ。
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 様々な想い出が蘇ってきます。東京、上野の美術館に二十年間近く出品し続け、長くこの道を歩んでこられたのは、なぜなのだろうか。私にとっての絵とはなんだろうか。自分の感じたものを表現したもの。その感動が私の絵のなかにある。描くことは、対象に触発され、自分にあるものを見つけ出し表現すること。感動を伝えたいという思いが、描くことの原動力なのです。自然と風土は、四季折々に、いつも見慣れた風景を、ある時、はっとする美しい姿に変える。祭りの躍動感、日々の暮らしの中にも新鮮な驚きがあります。春になれば花を咲かせ、やがては枯れるが、次の春には再び花を咲かせる。そして、自然は死と再生の循環を繰り返している。動植物は土から生まれて土にかえる。描くことは、その場に居合わせた空気とひとつになることです。見知らぬ世界との出会いは、新鮮な驚きとの発見です。自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。広いときもある。せまいときもある。のぼりもあれば、くだりもある。思案にあまるときもある。しかし、心を定め、希望をもって歩むならば、必ず道はひらけてくる。描くことの深い喜びもそこから生まれてくる。こう信じてひたすら描いた作品から100枚を選びました。100枚の絵は、私の子供たちです。
 会社生活の忙しい時間を縫って、多くの時間と制作費用を費やしてまで。それは、絵を描くことが、楽しいからに尽きる。「私と絵画との出会い」は、小学校の頃である。大阪の小学校から選ばれて、天王寺の大阪市立美術館に展示されたことは、なんの取り柄のなかった自分にとって、うれしくそして、懐かしい思い出である。仕事で東京出張のとき、時間が取れたので上野の美術館で「ゴッホ展」を見た。このとき「自分もこんな絵が描けたらいいな。」と思った。高校時代の美術の時間に初めて出会った油彩道具を引っ張り出して、枚方市の公民館の油彩サークルに参加し、仲間と自由に写生をしたころの楽しい思い出。その翌年の秋、交野のくろんど池の辺りをドライブしていると、あのゴッホの作品と同じ構図の場所を発見した。早速、私は50号のキャンバスを車に積んで、3週間続けて土曜、日曜の朝から夕刻まで描いたのが“里の秋”(最後の絵100)である。この作品は、勤労者美術展第一席に選ばれた。
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 この頃から、時間があれば、日本の美や海外での感動の印象を100号のキャンバスに描くようになった。私の絵は、写生主義である。車の屋根に、100号のキャンバスを積み現地で描く。現場からしか、その場の空気をつかめないからである。画家には、二つのものが必要である。それは、眼と頭脳であり、互いに助け合わなければならない。対象を素直にみる眼。頭脳は、本質を把握し表現手法を習得する力である。仕事が技術系なので、なぜ、なぜと追及することに慣れている。ゴッホやセザンヌの原画、モネやマチスの作品は、機会のある限り見るように努めた。ゴッホの日記、セザンヌの美術論を熟読した。現場で描いた100号の大作を、毎年、公募団体に出品してきた。友人の勧めもあり、2000年から京都の祇園で毎年個展を開かせていただいている。
 今年で23回目になる。個展を開いた初期のころ、来客者から頂いた手紙には「寒い日、あなたの暖かい作品をみて、生きていく勇気が出ました。」と書かれていた。このときは、私の作品が見る人に伝わっているのだと知り、絵を描いていてよかったと感じるとともに、制作に励む気持ちを新たにした。自分が対象から得た深い感動をじっと見つめること。そして描くこと。できた絵をじっくり眺めること。「絵が、何を訴えてくるか。風景なら、その画に入っていく気になるか。」と感じるまで描くようにしてきた。
 2007年、定年を機に、友人の勧めもあり、デジタルカメラを始めた。カメラの場合、魅力に富む自然界の彩りの変化を求めて、その一瞬を捉えなければならない。しかし、自然現象は気紛れなので、必ずしも望むようには変化してくれるとは限らない。シャッターチャンスは、望むような色彩になるまで根気よく待って、その一瞬に賭けなければならない。絵もカメラも対象との出会いは、まさに一期一会である。画家は絵筆と絵の具でキャンバスに、カメラマンは一瞬のシャッターチャンスで捉える。これからも、自然の恵みやまだ見知らぬ世界と出会いの感動を楽しみに、初心を忘れず歩んでいきたい。  市田 清(F45)
100works painted by Kiyoshi Ichida.
Works and mind.
Nature and climate sometimes change scene beautiful figure for all seasons.
Human’s expression in festival is powerful and exciting.
The meet with a foreign country’s exoticism motivate description.
Actual expression is painting power.
My road is gifted by nature.
When I lose my way, go step with care and hope.
The way shall certainly be opened.
A great pleasure and deep impression are born.
I have painted 30years in so believing.
I select 100works from my art works.

会員だより2017(カナダ・オタワ在住のESS・OB 井倉氏と52年ぶりの再会)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 清水 義一郎 E37 より:

    男声合唱団【ダーク・オックス合唱団】を立ち上げました。第一回練習日は7月6日て゜第二回が9月22日でした。メンバー工大グリークラブのOBが主力ですが、OBでない人もいますので、工大OB合唱団とは言えません。
     「多田武彦」作品を唄うのが目的です。練習は4回/年で、パート練習は各自、自宅でやる、そのための音源は、ネットで公開されて居る「音取り 多田武彦」で練習します。第二回までは「伊丹市文化ホール」でしたが、第三回からは、「コミスタこうべ」でやります。第三回は11月29日水曜日です。只今、団員募集中です。
     応募される方は、メールにてご連絡ください。

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