ロータリーエンジン ローターの開発

 写真は、デジタルアーカイブとして残すことになった「大学で製作されたロータリーエンジン ローター」です。
ぜひ、関係者の皆様、開発に至った背景、狙い、開発時期などの情報をお寄せ下さい。
下記のコメント欄活用や姫路工業倶楽部への連絡をお待ちしています。
なお、写真の左側資料はウィキペディア百科辞典のロータリーエンジンの説明です。
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ロータリーエンジン ローターの開発” に対して4件のコメントがあります。

  1. 佐伯 武彦 (機械工学科 36年卒) より:

    この研究は内燃機関の上月教授室の研究で、当時私は自動車部の部長をしており自動車エンジンには大変興味がありました。しかし、先生の目標はこのエンジンが如何にダメかの、ネガティブな答えを導くのが目的と聞き、そんな研究の仕方もあるのかと驚いた記憶があります。当時でも内燃機関は行きつくところまでいっており(当時私がそう思っていたのですが)、改善による実用新案、特許はいくらでも取れたが、博士号は課題がなく難しかったように思いました。結果的に先生は後にこの研究で博士論文を書かれたと聞きました。36年卒業時マツダでは実用化が近いと噂になっていたのではなかったかと思いますが、我々の実験室ではモーターで回してやっと爆発している程度だったように聞きました。

  2. 和気利明 昭和37年卒、機械工学科 より:

    この写真のロターリエンジンのローターは私たちが上月教授の指導の下、来田先生と「ロータリエンジンの試作研究」の卒研で製作した物だと思います。
    我々3人のグループは文献(N.S.Uヴァンケル、ドイツ)を頼りに姫路の市内の工場に依頼して
    製作してもらいました。このエンジンの難しかった所はシールでした。円筒形のエンジンと違って、ローターの先端と両側面のシールが大変難しく、またローターの材質が鋳物でしたから、慣性が大きく結果的には自力での連続運転が出来ずに終わりました。卒研発表で蒸気の吉原教授から内燃機関ではなく、外燃機関だね、と言われたことを今も鮮明に記憶しています。
    なお次の年代の卒研ではアルミ製のロータリーにして無事に運転出来たと聞いて居ります。我々3人の内、人見君は健在ですが、西川君は故人になりました。この写真を見て大変懐かしい気持ちになりました。

  3. 神田晋治 S41 より:

    懐かしい吉原先生の名前に触れ、思わず筆を取りました。私は産業機械の1期生で、ある関係で3年生の時から吉原先生の蒸気研究室に出入りしていました。その時期はマツダがロータリーエンジン搭載のスポーツカーを東京モーターショウに出品し、機械屋の話題を独占していました。吉原先生は「ロータリーエンジンは摩擦部分が多くて実用化は難しい。それより自動車用のガスタービンエンジンを開発して方が得策だ」と言われた記憶があります。その約10年後トヨタがガスタービンのハイブリッド車を東京モーターショウに出品しています。

  4. 38年機械科上月教授研究室卒業 柑本寿一 より:

    当時の工大にある工作機械で、精度が必要な複雑なロータリーエンジンのパーツを造ることは不可能でした。従ってとりあえずは”内燃機関”になったとはいえ、目標馬力の10分の1にも満たなかったような記憶があります。
    ロータリーエンジンの短所とも言えるところが、マツダRX7でラリーに参加した時認識しました。エンジン回転を比較的高回転で維持できる高速コースでは、そこそこ速いタイムを獲得できましたが、きついコーナーが続くコースではレスポンスが悪く、他のレシプロエンジンの車をしのぐことは至難の業でした。

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